液晶サマースクール09開催報告
太田和親
Kazichika Ohta
信州大学大学院総合工学系研究科・教授
長野県上田市常田3-15-1 G棟4階(〒386-8567)
E-mail: ko52517@shinshu-u.ac.jp
今年の液晶サマースクールは2009年7月16日から18日までの三日間の日程で昨年と同じ場所である熱海市の大月ホテル和風館で行われ、参加人数は講師、実行委員も含めて48名だった。今回私は二回目の校長として参加することになったが、諸事万端は実行委員長である久保野敦史先生(静岡大学)を中心に準備して頂いた。
今回で液晶サマースクールも15回目と節目を迎える事になるので、サマースクールの歴史について触れておきたいと思う。
世界最初の液晶サマースクールは、1912年にドイツのOtto Lehmannにより、バーデンバーデンという温泉地の近くの彼の別荘の水車小屋で行われた。Lehmannは1889年に初めて「液晶」と命名した人だが、その後20年に亘ってTammannやNernst、van’t Hoffなどの著名な熱力学者らから液晶は微小な結晶が液体の中に混ざったものと非難され、長い間認められなかった。そのため、液晶が存在する事を世の中に広め、多くの人達に知ってもらうため液晶サマースクールを開催したようだ。
日本では、第一回サマースクールは、液晶若手研究会の主催で平成7年つまり14年前の1995年7月に長野市で開かれた。その時の校長が私だった。何故、液晶サマースクールを始めたかというと次の理由がある。液晶若手研究会(略して「液若」)のメンバーが夜を徹して考えた事は、「液晶を大学で習った人はほとんどなく、会社に入ってから初めて液晶の研究に携わっても、自分のやっている狭い範囲は知っているが、液晶全般を広く理解している人はいない。毎日の業務に不安を感じている人が多い。したがって、液晶サマースクールというものを立ち上げて、ここで会社に入社してから1年目から3年目のひとに、基礎から応用まで全般が概観できるように、講義形式でやろう。」ということになり、液晶サマースクールを始めた。
今までの日本における液晶サマースクールの開催地と校長(敬称略)を、私の知る範囲で下にまとめた。
日本における液晶サマースクールの歴史
液晶若手研究会主催
第1回(1995長野)校長:太田和親(信州大学)
第2回(1996熱海)校長:片山詔久(北里大学→名古屋市立大学)
第3回(1997熱海)校長:楠本哲生(相模中研→大日本インキ化学工業(現DIC))
液晶学会主催
第4回(1998山形市蔵王)校長:佐藤進(秋田大学)
第5回(1999神奈川県葉山)校長:池田富樹(東京工業大学)
第6回(2000妙高高原)校長:赤羽正志(長岡技術科学大学)
第7回(2001支笏湖畔国民休暇村)校長:雀部博之(千歳科学技術大)
第8回(2002阿蘇国民休暇村)校長:檜山為次郎(京都大学)、副校長:野中敬正(熊本大学)
第9回(2003熱海)校長:関隆広(名古屋大学)
第10回(2004神戸市六甲)校長:川月喜弘(兵庫県立大学)
第11回(2005熱海)校長:高橋泰樹(工学院大学)
第12回(2006熱海)校長:青木良夫(埼玉大学→DIC)
第13回(2007熱海)校長:舟橋正浩(東京大学)
第14回(2008熱海)校長:平野幸夫(チッソ石油化学)、実行委員長:宇戸禎仁(大阪工業大学):この回から校長と実行委員長を別々にした。
第15回(2009熱海)校長:太田和親(信州大学)、実行委員長:久保野敦史(静岡大学)
これを見てわかるように、開催地は北海道から九州まで分布しているが、ほぼ半分が熱海で開かれている。その理由は、新幹線の駅に近く交通の便が良いこと、温泉に入れることなどであろう。これは、Lehmannのサマースクールがヨーロッパの有名な温泉地バーデンバーデンの近くだったことと類似していて大変面白い。